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東京高等裁判所 昭和50年(う)284号 判決

主文

原判決中被告人らに関する部分を破棄する。

被告人太田三郎(仮名)を懲役四年以上六年以下に、

被告人加藤昭一を懲役四年に、

被告人大塚孝一を懲役三年六月に各処する。

原審の未決勾留日数のうち、被告人太田、同加藤に対し各一三九日を、被告人大塚に対し八三日を右の各本刑に算入する。

原審の訴訟費用のうち、証人高橋公二、同古久保正巳、同岡本茂に支給した分は被告人太田、同加藤、同大塚の原審相被告人渡邊幸男、同黒子清司との連帯負担、証人野沢博人に支給した分は被告人太田、同加藤、同大塚の原審相被告人黒子との連帯負担、証人舘野定弘に支給した分は被告人太田、同加藤、同大塚の連帯負担、証人高野史郎に支給した分は被告人太田、同加藤の連帯負担とし、当審の訴訟費用のうち、証人種村貴侑、同田中功一に支給した分は被告人太田、同加藤の連帯負担、証人渡辺光市に支給した分は被告人加藤、同大塚の連帯負担とする。

理由

控訴の趣意は、検察官小林康人の、弁護人大根田毅煕、同新江正連名の各控訴趣意書のとおりである。

(一)  弁護人の被告人太田、同加藤についての事実誤認の所論、すなわち原判示御幸警察官派出所に設置された爆発物には、起爆装置を構成するスイツチ機構である時計の時ゼンマイまきカギのアームが電気雷管につながる脚線の心線に接触していなかつたという物理的不連続があり、かつ時計の金属部分から出ている線が電気雷管および電池とつながる他の脚線と結合されていなかつたという不備があつたため、その爆発物が設置されたからといつて、爆発すべき状態におかれたもの、使用されたものとはいえない、したがつて原判示第三の二、第五の二の認定には誤りがあるという主張について。

所論の点について、原判決が「爆発の可能性について」の見出しのもとに「御幸警察官派出所事件」と題し説示するところは相当であるが、若干補足する。同派出所に設置された爆発物をみると、それはまほうびんとその上部に文字盤を下にしておかれた目覚まし時計からなつており、まほうびんのなかには、電気雷管の埋めこまれた約89.6グラムのダイナマイト入りの管びんおよび電気雷管から出て上方にのびる白脚線と黒脚線ならびに白脚線に接続された積層電池一個が収容されていた。そして両脚線はまほうびんの上部の穴から外に引き出され、黒脚線の先端の被覆のとれた心線が時計の裏側の時ゼンマイまきカギのそばにたばねておかれ、その下には絶縁のためのビニールテープが敷かれ、これに時計の経時につれてゆつくり逆回転(右回転)する時ゼンマイまきカギがくいこんでいたが、白脚線はそのまま上方にのびていた。またまほうびんおよび時計は包装紙に包まれていたが、白脚線はさらにその外にのび、先端は約一センチメートルにわたり被覆のとれた心線となり、他方時計内部の機械部分につながれたコードが右の包装の外にのび、先端は約1.6センチメートルにわたり被覆のとれた心線となつていた。そしてこれらが一八リツトル入りの空かんに斜めに納められていたのである。以上の構造に徴すると、電気雷管に接続する白脚線の先端の心線と時計内部の機械部分につながれたコードの先端の心線とが結ばれた状況のもとで、時ゼンマイまきカギが移動し電気雷管に接続する黒脚線の先端の心線に触れてスイツチ的機能が働くことにより雷管を起爆させる装置であつたと考えられる。このように本件爆発物は、時限式に爆発しうるようにつくられており、その構造・機能に別段不合理な点はなく、ただちに爆発物として使用できる程度に完成されていたものである。したがつて、これが不発に終つた原因は、白脚線の先端の心線とコードの先端の心線が結ばれていなかつたこと、および、時ゼンマイまきカギが黒脚線の先端の心線と接触するにいたらなかつたことにあると推認される。これらの点については別段争いがあるわけでなく、関係証拠上も疑いがない。しかし白脚線の先端の心線とコードの先端の心線を結着することは設置にさいしても容易にできることで、爆発製造の経験をもつ高橋がすでに結着されていたと勘ちがいしていて設置にあたり改めて点検しなかつたものと思われる。ただ結着されていなくても、両心線が電気の良導体である一八リツトル入りの空かんに接触することによりあるいは白脚線の先端の心線が時計の金属部分に触れることにより電気回路を生じて雷管を起爆させることは可能であつた。鑑定人舘野の実験によれば、白脚線の先端の心線とコードの先端の心線を空かんに接触させることにより雷管を起爆させることができたというのである。また、時ゼンマイまきカギがビニールテープにくいこんでいたこと、本件爆発物は爆弾の知識に詳しいと思われる高橋が製造し、同人がこれを仕かけた直後太田、加藤両名に爆発予定の時刻を告知したこと等に徴すると、その製造当時時計は動いており、したがつて時ゼンマイまきカギのアームは回転しつつあつたが、その後その先端が下部にはりつけてあつたビニールテープにくいこんだため、黒脚線の先端の心線と接触するにいたらなかつた疑いが強い。しかし時ゼンマイまきカギのアームがビニールテープにくいこまないかどうかは設置のさいにも点検することができると思われるから、双方が接触しなかつた原因はやはり高橋の操作の誤りにあると考えられる。しかしかような場合でも、誰かがかんや時計に強く触れたりすると、なにかの拍子に時ゼンマイまきカギのアームが動き出し起爆しないとはかぎらないのである(以上につき、舘野定弘の昭和四九年四月二二日付、同年六月二八日付各鑑定書、同人の原審での供述等)。これらの事情を総合すれば、本件爆発物は原判示の方法で設置されることによつて爆発する高度の危険な状態におかれたもの、したがつて使用されたものと認めるに十分である。各論旨は理由がない。

(二)  弁護人の被告人加藤、同大塚についての事実誤認の所論、すなわち原判示福田屋百貨店に設置された爆発物については、起爆装置であるタイムスイツチ付時計のマイクロスイツチのレバーひいてはそのプツシユボタンが動かず、それが作動してオンになり雷管に電流を通じて起爆することがなかつたから、それが設置されたからといつて、爆発すべき状態におかれたもの、使用されたものとはいえない、また、高橋が警察等公の機関に対する攻撃を目的としながら、百貨店に爆発物を設置し深夜の爆発を期待したというのは特殊な意外なことであつて、同人に真実爆発させる意思があつたかどうか疑わしい、むしろ同人は被告人大塚に自己の指導的立場を示し印象づけるために爆発物の使用を装つたとみる余地がある、したがつて原判示第六の被告人両名が高橋による爆発物の使用を幇助した旨の認定には誤りがあるという主張について。

まず、所論前段の爆発物の使用の点について、原判決が「爆発の可能性について」の見出しのもとに「福田屋百貨店事件」と題し説示するところは相当であるが、若干補足する。同百貨店に設置され爆発しないまま押収された爆発物は包装紙に包まれ麻紐で十文字に縛られていたが、それは円筒ののりかんとその上部に文字盤を下にしておかれたタイムスイツチ付時計からなつていて、そののりかんのなかには、電気雷管の埋めこまれた約200.7グラムのダイナマイト入りの試薬びんおよびその雷管から出て上方にのびる白脚線と黒脚線ならびに白脚線に接続された積層電池二個が納められ、両脚線はのりかんの上部の穴から外に引き出され、それぞれの先端が時計のマイクロスイツチのターミナル部分にハンダにより接続されており、時計のマイクロスイツチはスイツチ作動レバーがあげバネのカギ部分にかけられてプツシユボタンを押した状態すなわちスイツチ的にオフの状態にあつたのである。その構造からみて、本件爆発物は、右のようにマイクロスイツチをオフの状態にし、時計の目安針によつてある時刻を設定しておくと、短針が目安針と重なりあつたとき、スイツチ作動レバーがあげバネのカギ部分からはずれてプツシユボタンがとび出した状態すなわちスイツチ的にオンの状態になり、電流の回路を生じて雷管を起爆するという機能を利用した時限式のものと推認される(もつとも、押収後検査したところによると、短針はなく、目安針は破損していて、爆発時刻としてなん時が想定されたかは明らかでない)。これらの点については別段争いがなく、関係証拠に照らしても疑いがない。ところで、電池は一個でも電気雷管を起爆することが可能であり、配線関係にも誤りや接続不良はなく、マイクロスイツチは正常に作動し、その接点が作動すれば雷管に電気が流れる状況にあつたのであつて、本件爆発物は、ただちに使用できるよう完成されていたものと認められる(舘野の昭和四九年四月一〇日付、同年六月二八日付各鑑定書、同人の原審での供述等)。本件爆発物を製造した高橋が製造にさいして時計の動くのを確かめたことがあること(検察官に対する加藤の昭和四九年三月一九日付、大塚の同月二二日付各供述調書)からみると、その製造当時時計は動いていたと考えられるが、なんらかの障害で時計のとまつたのがその爆発物の不発の原因である公算が大きい。時計が動いているかどうかは爆発物の設置のさいにも点検することができるから、それがとまつたのは高橋の操作の誤りによると解される。しかしかような場合でも、なにびとかが本件爆発物に触れることによつて時計が動き出す結果またはマイクロスイツチに触れることによつてそれが作動する結果爆発することが考えられる。これらの事情に徴すると、本件爆発物は原判示の方法で設置されることによつて爆発することの高度の危険な状態におかれたもの、したがつて使用されたものと認めるに十分である。

つぎに、右に述べたような本件爆発物の構造・機能、これを警察学校に、ついで栃木県庁に設置しようとして人通りなどのために果たさず、勢いのおもむくまま福田屋百貨店に設置するにいたつた経過、高橋がかねて暴力革命の必要性を強調しその実現に熱意を傾けていたこと(加藤、大塚の検察官に対する各供述調書等)などに照らせば、本件当時高橋に爆発物を爆発させて公共の安全等を害しようとする意図のあつたことは明らかである。

被告人両名が高橋による本件爆発物の設置・使用についての共謀共同正犯の刑責を免れないことは後述するとおりである。各論旨は理由がない。

(三)  弁護人の被告人太田についての事実誤認の所論、すなわち爆発物取締罰則にいう治安を妨げまたは人の身体・財産を害する目的は確定的なものであることを要するところ、被告人には爆発物を利用して積極的に革命的状勢をつくり出そうとする意図はなく、学友高橋のそのような目的を遂げさせてやりたいという趣旨で現場付近まで同行し、気勢をあげて精神的に犯行を容易にさせたにすぎない、被告人が昭和四九年一月下旬高橋と口論している点からみても同人から暴力革命についての影響をうけたことはなく、そのころ火炎びんの実験を試みたのは単なる興味にかられたからにすぎず、高橋に加藤を運転者として推せんしたのは協力者を紹介したまでのことであり、一時運転を渋つた同人を説得したのはその協力方を納得してもらうためにほかならなかつた、また、被告人は爆発物の威力を知らず、同人にはそれが爆発しても精々人の傷つくことがありうるという程度の認識しかなかつた、したがつて、原判示第二、第三の認定には誤りがあるという主張について。

原判決のかかげる関係証拠によれば原判示第二、第三の一ないし五の各事実を十分認めることができ、所論にかんがみ記録・証拠物を精査・検討し、当審での事実取調の結果に徴しても、所論にいう誤りはない。若干付言する。爆発物の設置・使用についての実行行為自体は高橋がしたと認めるほかないが(この点については、後述の検察官の控訴趣意に対する説明参照)、太田は原判示のとおり高橋とこれを共謀・実行したもの、すなわち共同正犯としての刑責を免れることはできない。本件当時高校三年生であつた太田は、原判決も説示するように、素朴ながらも物価高、生活物資の不足等をひきおこす現行の政治体制を改めて共産主義社会を実現する必要があるとの意識をもち、学友であつた高橋の言動に強く影響されたこともあつて、暴力革命もやむをえないと思うようになり、昭和四九年一月下旬ころには、みずからも火炎びんの実験を試みようとしたことがあつただけでなく、高橋が警察等公の機関に爆発物を仕かける方法をとる意向であることを知つて共鳴し、これに協力したいという気持になつて(そのころ東京などでの学生派閥間の抗争に関連し大沼と高橋の間に若干の口論があつたようであるが、シンナーをすつたうえでの高橋の興奮にもとづく一時的な出来事で、考え方の違いによるというような深い意味があつてのことではなかつた)、本件各犯行に加担したのである。さらに、高橋に対し犯行に用いる自動車の運転者として加藤を推せんしたり、加藤に犯行に加わるよう働きかけたりし、高橋の意図・目的を知つて積極的にその実現に協力したほか、原判示第二、第三のすべての場合に、爆発物を仕かけるため、みずからも現場近くまで高橋に同行して同人を勇気づける等のその実行行為に接着する行為に出ているのである。またいずれの場合も、高橋が爆発物を製造するのをみたり同人からきいたりして爆薬としてはダイナマイトが用いられていることを知つており、これが爆発すれば建物等を損壊し、人を殺傷することがありうるし、社会の不安・混乱を招くことを十分認識・予見し、むしろそのような結果になることを期待していたのである(以上につき、太田、加藤、大塚、黒子の検察官に対する各供述調書等)。これらの事情を総合すれば、原判示第二、第三のいずれの場合も高橋らと爆発物を仕かけることを共謀し、同第三の四の場合にはさらに被害者に対する殺意を相通じ、同人らとほぼ一体となり犯罪の実行にあたつたもの、すなわち共同正犯者と認められる(なお、次項末尾参照)。論旨は理由がない。

(四)  検察官の被告人加藤、同大塚についての事実誤認の所論、すなわち被告人両名は高橋らとそれぞれ爆発物を設置して使用することを内容とする共謀をし、いずれの場合も全体的にみれば高橋らと各実行行為をともにした共同正犯ということができる、したがつてこれを従犯とした原判示第五、第六の認定には誤りがあるという主張について。

結論をさきにいえば、加藤は高橋および太田と原判示東武駅警察官派出所、御幸警察官派出所、栃木県庁、真岡警察署および同警察署独身寮「協心寮」に対する爆発物の設置・使用を共謀し、真岡警察署に対する設置の場合には高橋らと殺意をも相通じ、加藤、大塚は高橋と原判示福田屋百貨店に対する爆発物の設置・使用を共謀し、それぞれほぼ一体となつてその実行にあたつたもので、いずれもその関係した犯行につき共同正犯としての責任を免れることはできないと考えられる。その理由を詳説する。

まず、被告人らの検察官に対する各供述調書(証拠とすることの同意があり、それぞれの内容には相互に矛盾がなく、他の関係証拠に照らしても疑問をいれる余地はないと思われる。これに反する被告人らの原審での各供述部分は信用できない)等に徴すれば、それぞれ以下のような事実が認められる。

(1)  被告人加藤について。

(イ)  東武駅警察官派出所事件(原判示第五の一)

当時高校三年生であつた加藤は、学友太田に誘われて学友高橋に近ずき、同人から社会や政治を批判する話しをきかされたり、デモへの参加を勧誘されたりした。また昭和四九年一月末ころには高橋から「警察は敵だから殺してもいいんだ」などといわれたこともあつた。さらに、そのころ高橋から「五万円やるから危険な物を運んでくれ」といわれ、硫酸あるいは火薬のことかと思いながらもこれを承諾したが、結局とりやめになつた。なお同年二月九日か一〇日に太田とともに高橋方へ遊びに行つたさい、高橋から「今度の休みに爆弾の威力の実験をやるから見にこないか」といわれたこともあつて、高橋が爆弾をも取り扱つていることを知つた。同月一一日午後六時三〇分ころ太田から「高橋がすぐきてくれ」といつている旨の電話をうけ、間もなくやつてきた太田を自分の自動車にのせて高橋方へ向け出発したが、車中で太田から「高橋が二月一〇日東武駅の交番に仕かけて不発に終つた爆弾を回収して新しい爆弾をその交番へ仕かけるからこいといつている。運転する予定の黒子がこないから君に頼む。手伝えば、高橋から金がもらえる」旨の話しをきき、高橋が金をくれるというし、親友の太田が爆弾を仕かけるというのならそれでもよいなと思つた。午後七時ころ高橋方へ着くと、同人は玄関で爆弾をつくつていた。ダイナマイト、雷管などでつくられたと思つた。間もなく爆弾をいれた買物袋をもつた高橋と太田を自分の車にのせ、午後七時二〇分ころ出発した。そのさい高橋から「これから東武駅の交番へ爆弾を仕かけに行く」「加藤には車のガソリン代として二万円やる」という趣旨のことをいわれ、いよいよ爆弾を仕かけに行くのだなと思つて緊張した。高橋が「おれがこれを仕かけるから、太田がさきに仕かけた分を回収してこい」といつた。東武駅警察官派出所のそばを通つて様子をみたのち、そこから約五五〇メートルはなれたNHKの近くにある商工会議所の有料駐車場に駐車した。車中で高橋が買物袋から白いバツグを取り出し、膝の上でそのなかの爆弾の整備をしたが、そのさい車内のあかりをつけてやつた。高橋は爆弾のなかに線を押しこんだり、チリ紙を丸めていれたりしたが、「金具をねじるとドカンと爆発する」「二本の線をつなぐからな。爆発したら車一台くらいふつとんでしまう」などといつた。高橋が爆弾のはいつたバツグを買物袋にいれて、皆で車をおりた。自分で駐車料二〇〇円を支払つた。三人が徒歩で東武駅警察官派出所へ向かつたが、その途中で高橋が「警察官なんか人間でない。可愛想だなという感情を捨てなければ駄目だ」などといつた。高橋と太田がやるという以上、一緒に警察官を殺したつてよいという気持になつた。東武百貨店の東口から西口へ向かうとき、高橋が「おれは新しい爆弾を仕かけるから、太田はきのう仕かけた爆弾をとつてきてくれ」といつた。三人で派出所のそばを通つたが、時間が早いというので近くの喫茶店へはいつてコーヒーを飲み、自分で三人分の代金を払つた。午後九時ころ高橋が派出所の様子をみようというので、三人で喫茶店を出て派出所の向かいがわにあるレストランの階段を上がつて同所周辺の状況を確かめてから、高橋が「怪しまれるとまずいからお前ら二人はあつちへ行つていてくれ」といつて派出所へ赴いたので、太田と二人で同所から約四〇メートルはなれた東武百貨店のエレベーター入口付近へ行つて待つた。もどつてきた高橋が「爆弾は派出所のそばの自転車に仕かけてきた」といい、さきに仕かけた爆弾を回収してきていた。この間、車の運転にともなう金の魅力があつたのはもちろんであるが、爆弾が爆発すれば交番などがふつとび、警察官などが死傷することもありうるし、爆弾のことが新聞などにのつて大騒ぎになるだろうが、それでもかまわないという気持だつた。

(ロ)  御幸警察官派出所事件(原判示第五の二)

右のように昭和四九年二月一一日夜東武駅警察官派出所に爆発物を設置した直後、加藤、高橋、太田の三人が教会の構内で回収した爆弾を点検してから駐車場に駐車してあつた自動車にのつたとき、高橋が回収爆弾をさらにみたいというので、車内のライトをつけてやつた。その爆弾は筒と時計からなり、それぞれから二本の線が出ていた。高橋が時計の裏をいじつているとき、車のダツシユボードの物入れから白ビニールテープを取り出して渡してやつたこともある。このようにして自分の運転で高橋方への帰途についたが、その途中高橋から「回収した爆弾をつくりなおし、別の交番へ仕かけよう」「今夜中にどこかの交番を爆破して新聞にのるようにでもしなければ、組織の上の人に殺されるかもしれない」「平出工業団地の交番へこれを仕かけて爆破しよう。ガソリン代を出すから手伝つてくれ」などといわれ、同日午後一〇時ころ高橋方へ着くころには、一緒に工業団地内の交番へ爆弾を仕かけようという気持になつていた。高橋方へ着いてから、同人が回収した爆弾を玄関のテーブルの上におき、「近くの田んぼで爆弾の威力をためしてみたがものすごい爆風で電池やブリかんはこんなにバラバラになつた」といいながら、上のほうがふつとんでいる乾電池を示したとき、相当の威力があるなと思つた。高橋がその爆弾を修理し、筒から二本の線を出して目覚まし時計の裏のネジの部分にとりつけるなどした。午後一一時ころ爆弾の修理を終り、高橋と太田を車にのせて平出工業団地の御幸警察官派出所へ向かつた。その間高橋が「今度は爆発するぞ」といつた。車で同派出所付近をまわつたのち、その東南約五〇〇メートルのところに停車し、いつたん三人で逃げ途をさがした。そのさい、高橋から「発見されたとき追跡されると困るから交番の裏の車のタイヤの空気を抜いておいたほうがよい。空気はどうやつて抜くか。音がするか」と問われ、「ゆつくり抜けば音はしない」と答えた。なお、派出所を二回もまわつていたので、怪しまれないよう車の初心者マークをはずし、その横の白線を隠すためテープをはつた。高橋が爆発するところをみせてやるから一緒にこいというので三人が徒歩で派出所へ向かい、団地内の同派出所をふくむ一区画(平田機工関東工場)の派出所東南約三四七メートルの金綱をのりこえてなかにはいり、派出所の東南約一六三メートルのところまで進んだとき、高橋に「おれひとりで仕かけてくる。君たちは車で待つていてくれ」といわれ、太田と二人で車にもどつた。翌一二日午前零時三〇分ころ高橋が車のところへもどつてきて、「午前一時三〇分ころ爆発するように、交代のものが寝ている派出所の部屋の外の壁の下に仕かけた」といつた。車で帰る途中高橋と太田をおろし、いつたん自宅へ帰つてからオートバイで太田方へ行き、トランジスターラジオをかけて爆発の報道をまつた。午前六時ころ起きて新聞配達をしていたさい、高橋にあつて「爆発しなかつたようだな」といつた、しかし新聞にのつた東武駅や御幸の交番に爆弾が仕かけられた記事をみて、大騒ぎになつていることがわかつた。さきに黒子から「高橋がその家の前の田んぼで爆弾の実験をするのをみたが、ものすごい音がし、おつかなかつた」旨の話しをきいてもいた。

(ハ)  栃木県庁事件(原判示第五の三)

昭和四九年二月一六日学校へ行くとき、太田に福田屋百貨店へ爆弾を仕かけた話しをした。太田が遊びに行こうというので、午後一時三〇分ころ車で太田方へ行き、午後二時ころ二人で高橋方へ赴いた。そして、三人で福田屋百貨店をみに行つたが、異常はないようだつた。午後二時三〇分ころ高橋方へもどつたが、そのさい高橋に「今晩警察学校へ爆弾を仕かけるから午後六時ころこいよ」といわれ、一緒に仕かけようという気持になつた。太田と二人でドライブをしたのち、同人に「高橋が近く真岡警察署やその寮に爆弾を仕かける話しをしたな」というと、太田から「今晩も一緒に仕かけに行こう」と誘われた。同人からは「ガソリン代は高橋にもらうようにしてやる」などともいわれた。午後六時三〇分ころ太田とともに高橋方へもどつた。その玄関で、高橋が爆弾を製造中であつた。同人に「ガソリン代をなんとかしてくれ」というと、「組織からやつと金がきた。わけるため今計算中だ」ということであつた。高橋はブリキかんのなかにダイナマイトのはいつたかん、雷管、釘などをつめ、ブリキかんを麻紐で十文字にしばりながら、「ふたをあけると爆発するんだ」といつた。紐をかけたふたが自然にあくようにするため、紐を焼き切るための硝酸も準備されていた。高橋が真岡警察署等へ仕かけるトランジスターラジオの爆弾二個(スイツチをいれると爆発するもの)をふくめた爆弾三個をもち、二人を車にのせて警察学校へ向かい、そこを一巡したのち、高橋が車からおりて麻紐に硝酸をかけようとしたが、他の車が通りすぎてまずいというのでやめた。警察学校はまずいから栃木県庁へ仕かけようということになり、県庁東入口からはいつて庁舎東側に停車した。午後九時三〇分ころ高橋が「仕かけてくるからここにいろ」といつて爆弾をもつて正面玄関のほうへ行つたので、太田とともに車をおりて人の気配をうかがつた。仕かけてもどつてきた高橋は「今の爆弾が一番威力が強い。一〇メートル四方の人がふつとぶだろう」などといつた。

(ニ)  真岡警察署および同警察署独身寮「協心寮」事件(原判示第五の四、五)

真岡警察署等に爆弾を仕かける話しは、昭和四九年二月一四日ころから出ていた。高橋にその場所を聞かれて、同警察署付近の地図を書いて教えてやつたことがあつた。当初は、高橋が近くの細谷の家に泊り、自転車で行き新聞配達を装つて仕かけるものと思つていた。ところが、さきに述べたように、同月一六日夜栃木県庁に爆発物を設置してから高橋、太田と三人で車で帰る途中、高橋から「明日の朝このトランジスターの爆弾を真岡警察署と寮へ仕かけよう」といわれ、今さらいやだとはいえず、同人や太田と一緒に仕かけようという気持になつた。その晩は高橋とともに太田方に泊り、翌一七日午前五時三〇分ころ起きて太田方を車で出発し、真岡警察署の手前を左へまがる付近で、「赤い電気のついているところが警察だ」と教え、そのそばを通つて近くに停車した。高橋が「おれが仕かけてくる」といつて署のほうへ行つたが、そのさい「その細い道を行くと、警察の前に出る」と教えてやつた。そして車のエンジンをかけたままで待つたが、今度は爆発すると思つた。爆発すれば、建物などをふきとばし、警察官などを殺傷したりすることがあることはわかつていた。五、六分して高橋がもどつて「警察に仕かけてきた」といい、ついで「協心寮」へ向かい、高橋にその寮を説明して、その近くで停車した。高橋がまたも「おれひとりで仕かけてくる」といつて寮のほうへ行つたので、車のライトを消し、エンジンをとめて待つた。間もなく高橋がもどつて「寮に仕かけてきた」といつた。それから三人で太田方へもどり、午前一〇時ころ高橋を迎えにくることを約して、いつたんは自宅へ帰り、高橋は太田方へ泊つた。そして約束どおり太田方へ赴き、三人で現場付近へ行つて状況をみたが、警察官の見張り、警戒が厳しく、人の集まりも多かつたため、爆弾設置の結果がどうなつたかはよくわからなかつた。

(2)  被告人加藤、同大塚について―福田屋百貨店事件(原判示第六)

まず大塚は当時高校生であつて、昭和四九年二月一三日級友であつた高橋、太田、加藤が協力して爆弾を仕かけたことを知り、自己が仲間はずれにされたと思い、高橋から「君は半分しか信用できない男だ」などといわれたこともあつて、仲間内での地位を回復しようと考え、高橋などに協力する気持になつた。同月一五日朝学校で高橋から鐺山の交番を爆破したいという話しをきいたさい、鐺山駐在所付近の地図を黒板に書いて教えてやつた。そしてその後加藤に「高橋は鐺山の交番を狙つている。付近に自分のオートバイがおいてあるが、どうするかな」などといつた。授業が終つてから、加藤は高橋に「車で学校まで迎えにきてくれ。大塚も待つているから」といわれ、午後一時ころ車で学校へ迎えに行き、高橋と制服姿の大塚をのせて高橋方の玄関へ赴いた。そこで、高橋は薬びんに白い脂肪のかたまりのようなダイナマイトをいれ、電気雷管、釘、置時計などを用いて爆弾をつくつた。すなわち茶筒のようなものにダイナマイトをつめたびんを逆さにいれ、威力を増すため釘をぎつしりつめ、電気雷管や電池を結ぶ線をつなぎ、茶筒の上に置時計を裏返しにおいて、全部を包装紙で包み、それを紐でしばつたうえ、カーネーシヨン二、三本と葉つぱで偽装した。そのさい、加藤や大塚は、ハンダ付けにあたつては電池や電線をもつてやつたり、包装紙でくるむにあたつてはセロハンテープをはつてやつたり、麻紐で結んでやつたりした。午後三時ころ、高橋が右の爆発物をもち、加藤の運転で三人して高橋方を出発し、同人が警察学校へ仕かけるかというのを了承してそこへ赴いたが、学生などの姿が多くここは適当でないというので栃木県庁へ仕かけることになり、その東門近くの駐車場に停車し、高橋がひとりで仕かけてくるといつて出かけた。大塚も一緒に行きたかつたが、学生服を着ていたので、高橋にまかせた。しかし、まだ明るく、職員がいて都合がよくないということになつたが、高橋に「福田屋百貨店に仕かけるか」といわれて、加藤も大塚も賛成した。二人とも爆発して建物などをふきとばしたり人を死傷させたりして大騒ぎになるならどこでもいいという気持だつた。そこで加藤が運転して福田屋百貨店前の道路を隔てた地下道入口近くに停車したところ、爆弾を仕かける箇所につき高橋と大塚が相談して、加藤がこれを了解し、高橋が「おれひとりで行つてくる。五時三〇分ころまでに帰るから車を百貨店前へまわしておいてくれ」といいながら、午後五時一〇分ころ買物袋入りの爆弾をさげて車をおり、同百貨店に通じる地下道へはいつて行つた。加藤と大塚はカーステレオを買つたりしたのち、車を再び同百貨店前へつけて、午後五時三〇分すぎ高橋をのせたが、同人は「福田屋百貨店の便所の上の天井裏に仕かけてきた」「爆発の時は一〇時間後にあわせてきた」などといつた。翌朝加藤も大塚も爆発のニユースのあることを期待したが、なにもなかつた。

以上の状況に徴すれば、いずれの犯行においても終始高橋が主導的役割りを演んじたことおよび加藤や大塚が爆弾の設置自体に関与しなかつたことは事実である。しかし、加藤も大塚も本件各爆弾の恐るべき威力、すなわち爆発の可能性十分で、爆発すれば建物などをふきとばし人を殺傷するおそれのあることを知りながらそれでもよいと考えていたこと、そして爆弾の製造を一部手伝つたり、設置予定場所付近の地図を調べ、またはそれを指示し、あるいは付近を高橋とともに下見分したり、設置のため現場のすぐ近くまで行つて様子をうかがつたり、犯行後の逃走方法や経路について協議したりしていること、さらに爆発したかどうかの結果にも少なからぬ関心をもつていたこと等の事情にかんがみると、右各犯行は、主謀者高橋を中心に加藤、太田の三人または加藤、大塚の三人がほぼ一体となつてその企画・実行にあたつたといつても過言でなく、それぞれ右三名による共同正犯の成立を認めるに十分である。したがつて、加藤や大塚の行動を「自己の犯罪を表現したもの」とはみられないとし、これを幇助にすぎないと断じた原判決の結論は相当でないと思われる。加藤のさしあたりの狙いが自動車を運転して収入を得るにあつたこと、大塚が犯行に関与するにいたつたのは、高橋から「君は半分しか信用できない男だ」といわれ、仲間はずれにされるのがいやだつたためであることは認められるが、これらの点は、右の認定を左右するには足りない。結局各論旨は理由があるといわなければならない。

(五)  検察官の被告人らに関する量刑不当の所論について。

本件は、一か月の間に、大田が高橋ほか一名と共謀のうえ爆発物を所持し、太田および加藤が高橋と共謀のうえ五回にわたり警察署、警察官派出所等に爆発物を設置・使用し、そのうち一回は人を殺害するおそれがあると知りながらそれを爆発させて警察官に重傷を負わせ、加藤および大塚が高橋と共謀のうえ百貨店に爆発物を設置・使用したという事案であるが、その動機が無謀・悪質で、行動が計画的かつ大胆であること、社会・人心に多大の不安・衝撃を与えたこと、一部の犯行では出勤してきた警察官に生命の危険にもかかわるような重傷を負わせたこと等が注目される。以上に徴すれば、被告人らの刑責は重大であるといわなければならない。したがつて、すべての場合に高橋が主導的役割りを演じたこと、それぞれ反省の情がうかがわれること、いずれも当時高校生であつて、他に非行の前歴はまつたくないこと、現在は通常の社会人としてまじめに生活していること等各自に有利な諸点をしん酌しても、原判決の量刑中、太田に対する分は軽すぎるし、加藤および大塚に対する分は、同人らの行為を共同正犯と認めざるをえない以上、やはり軽すぎると思われる。各論旨は理由がある。

そこで、被告人太田については刑訴法三九七条一項、三八一条、被告人加藤、同大塚については同法三九七条一項、三八一条、三八二条により原判決中被告人らに関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらにつぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人太田について。

原判決が原判示第二の爆発物の所持として、第三の各爆発物の設置・使用として判示するところである(ただ、第三の分については、共犯者として被告人加藤が加わることはもちろんである)。

被告人加藤について。

被告人加藤は、高橋和彦、被告人太田と共謀のうえ、治安を妨げ、人の身体・財産を害する目的をもつて、

一  昭和四九年二月一一日午後九時ころ、栃木県宇都宮市宮園町五番一号宇都宮中央警察署東武駅警察官派出所裏側においてあつた自転車前部のかごのなかに、ダイナマイト約181.3グラムを森永ミルクココアかんに充てんし、これに電気雷管、乾電池等を組みあわせた起爆装置をとりつけ、これを釘などとともにビニール製手提かばんに収容して、そのかばんの止め金を「開き」のほうへ動かすことにより爆発するようにつくられた爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用した。

二  同年二月一二日午前零時二〇分ころ、同市平出工業団地一〇番地の一宇都宮東警察署御幸警察官派出所西南側休憩室窓の下に、ダイナマイト約89.6グラムを管びんと称する試薬管に充てんし、これに電気雷管、乾電池等をとりつけ、これを釘などとともにまほうびんに収容し、この上に目覚まし時計をおき、雷管などと時計を結合して一定の時間の経過により爆発するようにつくられた時限式爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用した。

三  同年二月一六日午後九時三〇分ころ、同市塙田町五〇四番地栃木県庁舎正門東側外壁の下に、ダイナマイト約三二八グラムを空きかんに充てんし、これに電気雷管、乾電池等を組みあわせた起爆装置をとりつけ、これらを釘などとともに金属製空き箱に収容して、空き箱のふたを開けることにより爆発するようにつくられた爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用した。

四  警察官を殺害する意図をも相通じ、同年二月一七日午前五時五〇分ころ、同県真岡市荒町二、〇九一番地の五真岡警察署西側車庫軒下に、ダイナマイトをトランジスターラジオに充てんし、これに電気雷管、乾電池等を組みあわせた起爆装置をとりつけ、ラジオのスイツチを操作することにより爆発するようにつくられたラジオの外観を有する爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用するとともに、同日午前八時三〇分ころ、たまたま同警察署に出勤してきた警察官高野史郎(二九歳)に右の爆発物をラジオと誤認のうえそのスイツチを操作させて爆発させたが、同人に対し加療一年以上を要する顔面挫滅創、左手関節切断、右手挫滅創、腹部・両大腿挫創、両眼球外傷等の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するにいたらなかつた。

五  同年二月一七日午前六時ころ、同市荒町六七五番地真岡警察署独身寮「協心寮」南東側軒下に、ダイナマイト約96.3グラムをトランジスターラジオに充てんし、これに電気雷管、乾電池等を組みあわせた起爆装置をとりつけ、ラジオのスイツチを操作することにより爆発するようにつくられた爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用した。

被告人加藤、同大塚について。

被告人加藤、同大塚は、高橋と共謀のうえ、治安を妨げ、人の身体・財産を害する目的をもつて、同年二月一五日午後五時三〇分ころ、宇都宮市杉原町三、二三八番地株式会社福田屋百貨店五階男子用便所天井裏に、ダイナマイト約200.7グラムを試薬びんに充てんし、これに電気雷管、乾電池等を組みあわせた起爆装置をとりつけ、これらを釘などとともにのりかんに収容し、この上にタイムスイツチ付時計をおき、雷管などと時計を結合して一定の時刻の到来により爆発するようにつくられた時限式爆発物一個を設置し、もつて爆発物を使用した。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

罰条

被告人太田の原判示第二の爆発物の所持

刑法六〇条、爆発物取締罰則三条(懲役刑選択)

被告人らの各爆発物の使用

刑法六〇条、爆発物取締罰則一条(被告人太田の原判示第三の四、同加藤の前示四の分を除き、各有期懲役刑選択)

被告人太田の原判示第三の四、同加藤の前示四の各殺人未遂

刑法六〇条、二〇三条、一九九条

科刑上一罪の処理

被告人太田の原判示第三の四、同加藤の前示四の爆発物の使用と殺人未遂につき、刑法五四条一項前段、一〇条

(重い爆発物取締罰則違反の罪の刑により、有期懲役刑選択)

併合罪の加重

被告人太田、同加藤につき、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、一四条(もつとも重い被告人太田の原判示第三の四、同加藤の前示四の罪の刑に法定の加重)

酌量減軽

刑法六六条、七一条、六八条三号

少年法の適用

原判示のとおり現に二〇歳に満たない少年である被告人太田につき、少年法五二条一項

未決勾留日数の算入

刑法二一条

訴訟費用の負担

刑訴法一八一条一項本文、一八二条

(横川敏雄 柏井康夫 中西武夫)

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